象徴
言語の前にある世界
本質を見つける鍵

潜在意識は、言葉で考えているわけではありません。
体験や情報は、そのまま文章の形で保存されるのではなく、
処理され、凝縮されます。
このことは、心理学や認知研究の領域でも示唆されています。
前章で述べたように、
潜在意識は常に方向性を示し続けています。
その方向は、
凝縮されたかたちで意識に立ち上がり、
象徴として現れます。
顕在意識が言語によって表現するのに対し、
潜在意識は象徴によって表現します。
言語とは、
象徴として立ち上がった圧縮情報を展開しようとする試みです。
しかしその展開は近似に過ぎません。
象徴が内包している全体を、言語で完全に再現することは原理的にできません。
本章では、この潜在意識の象徴表現を扱います。
潜在意識は、内的世界においても、外的世界においても、
象徴表現を通して重要性を指し示します。
内側では、夢やイメージとして。
外側では、特定の対象や形、色、配置などに
無意識に関心を向けさせるかたちで。
顕在意識は理由を後から探しますが、
最初に動いているのは象徴への反応です。
そして、同じ象徴であっても、
その意味は一様ではありません。
象徴には、文化の中で共有されてきた解釈があります。
しかし同時に、個人の体験によって形成された解釈もあります。
ある象徴が、
個人的な過去の出来事や強い記憶と結びついている場合、
その人にとっての意味は一般的な解釈とは異なる方向に定着します。
そのとき優先されるべきなのは、
文化的な一般解釈ではなく、
その人の内部で実際に作用している意味です。
一般解釈を「正解」として提示してしまうと、
個人の内部で形成された解釈は、
固定概念の影に隠れ、自覚されにくいものになります。
そのため本章では、
個々の象徴に対しての意味を定義するのではなく、
人類の象徴に対する共通認識が本来何を伝えようとしていたのかを掘り下げていきます。
多くの人が同様に反応する象徴表現は、
繰り返し選ばれ、
やがて文化として定着します。
宗教や神話、
文字や慣用句、
色彩や空間構成、
数字や儀式。
それらは単なる装飾や偶然の産物ではなく、
無意識の反応が世代を超えて蓄積された結果です。
長い時間の中で定着してきた象徴には、
人類が積み重ねてきた潜在意識の知見が組み込まれています。
本章は、
象徴の意味を紹介する章ではなく、
文化に根付いた象徴の中に
どのような無意識の蓄積があるのかを見ていく章です。
世界にあふれる象徴
世界は、思っている以上に象徴で満ちています。
それは特別な場面に限られたものではなく、
日常の中に織り込まれています。
ここからは、
文化の中に残っている具体的な象徴を取り上げていきます。
ここから先は個別ページへ。(各ページは7章の完成後に順次公開予定です)
• 宗教と文化
• デザインとセンス
• ことわざ・慣用句
• 漢字・象形文字
• 数字
• 色と共鳴
• 二面性
• トリガー
• 土地と言語
象徴のラベル化問題
象徴は本来、
言葉では直接捉えきれない本質を指し示す表現です。
しかし現代社会では、
本質そのものではなく、
本質に見える形式が流通します。
たとえば、
“理想とされる生き方”
“望ましいとされる状態”
“評価されやすい在り方”
こうした言葉は、分野を問わず、
特定の完成イメージと結び付いています。
そのイメージは、
特定の空間、表情、服装、色合い、構図、雰囲気、背景、小道具などによって演出されます。
やがてその視覚的形式が、
本質そのものの代わりを務めるようになります。
本来は本質を指していた象徴が、
流通の中で分かりやすい完成形へと置き換わっていく。
ここで起こるのが誤認です。
人はそれらが指していた本質的な中身を求めています。
しかし、視覚的に完成された形式を手に入れれば
その本質も同時に得られると錯覚します。
だから形式をコピーする。
けれども、
コピーできるのは外側の構図だけです。
こうして象徴は、
方向を示すものから
目標そのものとして扱われるようになります。
本質との接続が失われたとき、
象徴は中身を伴わない形式へと変わります。
それは、
本質を指す象徴ではなく、
本質が抜け落ちた視覚的ラベルです。
完成形を手に入れても、
そこに込められていた中身まで自動的に手に入るわけではありません。
ここで述べているのは、
見た目を整えること自体を否定するものではありません。
むしろ、自身の感性で装い、
自分を着飾ることは、
本来とても創造的で尊い行為です。
外側の表現が、
内側の本質と結び付いているなら、
それは生きた象徴です。
問題は、
本質との接続がないまま、
形式だけが独立して追われることです。
もし何かのラベルをコピーしていると気づいたとき、
少し立ち止まって考えてみてください。
あなたが本当に得たかったものは、
その形式でしょうか。
それとも、
その奥にある本質でしょうか。
